八女石の特徴と歴史

八女石の特徴と歴史

八女石は福岡県八女市山内・八女郡上陽町・黒木町一帯で産出する、輝石安山岩質溶結凝灰岩です。全体的には暗紫灰色の色調で、黄色軽石や黒色の黒曜石がレンズ状に入っているのが特徴です。

八女石は約7万年前に、阿蘇山から噴出した阿蘇火砕流の堆積物です。この時の阿蘇火砕流は大変大規模なもので、島原半島や天草、海を渡ってなんと山口県宇部にまで達しています。この時の火砕流により阿蘇の見事なカルデラが形成されました。

八女石は軟質で、彫刻しやすく、軽量で、耐火性・耐寒性に優れているのが特徴です。主に石塔・石彫・仏石・灯籠に利用され、特に八女石灯籠は有名です。石山や石山の層によって、硬さや、色合い、混ざり石の大小、有無があります。用途によって使い分けをします。


八女石灯篭

伝統的な技術技法を受け継いだ素朴さと優雅な形が多くの人を魅了し、古くから伝わる意匠から現代のセンスを取り入れたデザインまで用途に合わせた商品揃いです。

手作りの為、職人によって、石の選定、感覚、技術が異なり、量産的なものから、感覚を重視したものまで、同じ商品でも、かなりの異なりがあります。

特に自然木型灯篭、石水車等は原石の形を生かしながらバランス、質感、動・静、効果等を加味しながら作りますので、基本的なデザインや計算、イメージが重要です。


石橋

八女地方には地元産出石を使用した石橋がたくさんあります。
洗玉(せんぎょく)眼鏡橋、寄口(よりぐち)橋、大瀬(だいせ)橋、宮ヶ原(みやがばる)橋、栗林(くりばやし)眼鏡橋、その他多くの石橋が見られます。熊本県矢部の石職人橋本勘五郎(矢部の通潤橋を作った)が、洗玉(せんぎょく)眼鏡橋を作り、その組み石の技術を生かし、八女の先人の石職人たちが多くの石橋を八女地方に築きました。大水にも流されず、現存しています。先人の技術と感覚で現在の八女石燈篭が生まれました。

因みに橋本勘五郎の師匠、岩永三五郎は鹿児島の石橋を築きました。(今は一昨年の大水で流されてしまいました)又橋本勘五郎は皇居の眼鏡橋を作っています。熊本から瀬戸内海をとおり、船で石を運んでいます。現在は表面が御影石ですが、基礎は凝灰岩を使用しています。石橋は中央一個の石を取ると、橋が崩れるといわれています。岩永三五郎は鹿児島の石橋を築いた後、秘密を知るものとして、暗殺されかけますが、刺客は三五郎を殺さず、違う首を持っていったとされている。
三五郎が暗殺されていたなら、多くの石橋も八女石灯篭もなかったかもしれません。歴史も大きく変わっていたでしょう。